地味アラサー女子がセクキャバ嬢になってみた

文系大学院卒のくせに派遣社員というイタイ私の労働記録。

派遣労働者。29歳女子。お金がない。

29歳アラサー女子。

結婚の経験あり。貯金は1円もく、借金が1000万ほど。

こんなこと友達や親にも言えないくらい恥ずかしいことだけど、

世の中には筆者のような同じ境遇の同世代、結構いるんじゃないかな。

なぜ大学院まで出たのに結局派遣になり、

セクキャバで働くことになってしまったのか。覚書的にちょっと書いてみる。

セクキャバの話とはそれるけど、関心のある方は読んでいただければ。

 

 

  • 遡ること、大学卒業の頃

私は関西のとある私立大学に通っていました。

文学部の文化人類学専攻。

文化人類学が楽しくて楽しくてたまらない日々。

文化を相対的に見る眼鏡、自分がなぜ差別したり区別したりしてしまうのか、

世の中にはびこる差別構造、ジェンダーバイアス、体と心のこと

まるで思春期の頃から感じていた自分の悩みを溶かしてくれるような学問で、

学べば学ぶほど、私の人生は豊かになっていくように思えました。

学費はバカ高い私立大なのに、私は在学中更に半年アメリカ留学なんかもしてしまったので

大学には5年在籍。それでも若いうちの1年なんて、取り戻せると思っていました。

大学在学中は音楽サークル、ボランティアサークルにも熱中。

高校の頃から付き合ってた彼氏とは絶対結婚すると思っていました。

大学にたまにいる、意識高い系学生、でしたね。(笑)

いませんでしたか。やけに先生にかわいがれる学生。みんなの人気者。

人生楽勝、と思っていたかもしれません。

 

  • 大学院留学へ

研究者になろう!と夢を持った女子大生の筆者はイギリスに大学院留学。

1年間の語学留学を経て、大学院一発合格。

文化人類学においては名門の大学院でした。

もともと苦手だった英語での授業はけっこうきつく、大学院時代は勉強漬けの毎日。でも、海外で大学院生、という自分に酔ってたのもあって、毎日キラキラ充実していました。

日本のジャーナルにも寄稿したこともあったほど、研究自体は順調でした。

学術発表も積極的にやっていた方でしたし、私は同期の中では教授からもかわいがられ、修士論文は校内1位の評価を受けました。

私は、研究者として一歩を踏み出した、はずでした。

 

  • 日本に帰国・就職・結婚 そして離婚

そんな折、日本のとある民間団体からスタッフにならないか、とお誘いがありました。

団体職員なら、そんなに時間的拘束も厳しくないだろうし、日本の人種差別やジェンダーの問いについて取り組む団体だったこともあって、私のキャリア的にもきっと役に立つだろう、働きながら研究しようと思い、帰国を決意。26歳でした。

 

帰国時、私は日本学生支援機構からすでに700万借りている状態でした。

学士の時に400万、大学院で300万ほど、すべて生活費や勉強雑費として。

大学院生って、書籍代、遠征代、基本生活費その他もろもろ、思いの他かなりお金を使います。大学院の学費自体は免除留学生だったのですが、月々生活費として15万ほどを借りていました。でも、普通に人が暮らすのに15万はさほど遊んでなくても普通に飛んでいきますよね。(送金手数料でたしか実際使えたお金は12万程度でしたし)

更に物価が高い国だったので、毎月かつかつでした。

それでも、就職したらなんとかなるだろう、こつこつ返していけるだろうと思っていました。

 

帰国と同時に、高校時代からずっと付き合っていた彼とも結婚。

帰国し就職した頃とほぼ同じころ、結婚式を挙げました。

彼も同じ年での結婚。友達界隈では早い方だったので、みんなにすごく祝ってもらっちゃって、幸せでした。はぁー(遠い目)

 

さて、就職した団体の初任給は17万円。

しかも非認可のNPОだったので、保障は脆弱なものでした。自分で国民健康保険を払い、税金は給料をもらっていないことになっていたので(団体の中で、私の給与は雑費的なところに入っていました。)請求を無視して払っていませんでした。

しかも当時の夫もその頃訳があって休職中だったので、私たち夫婦、どうやって生活してんねん、状態に。

そして、自分で働いたり保険料をおさめたり、という経験が26歳までなかった私、お金の感覚もちょっとぶっ飛んでいました。私は17万あれば、人が2人生きていけると思っていました。

まぁかなりぎりぎり生活を送れば可能かもしれませんが…金銭感覚なんてそれぞれですが…なかなか厳しいですよね。

でも、私はいつか収入が増えるから・研究者だからこれまで通り学術シンポなんかには出席しなきゃ・お金にならない仕事でもいつかキャリアにつながるだろうから・若いうちは苦労しなきゃ

なんて言い聞かせながら、時間もお金も体力も、かなり消耗しました。

そして、すぐ働く予定だった夫はなぜかずっと遊んでいました。私の収入で暮らしているのに、自分のおこづかいだけは実家からもらって悠々自適に過ごしているのでした。

でも、私は大学卒業後から待たせてしまっていた彼への自責の気持ちと、大学院まで出てそれしか稼げないわけ?って思われたくないのもあり、常に余裕なフリをしてしまいました。今思えば本当にバカだったと思うのですが。

ー夫に対して「お金がない」って何故か言えなかった。ー

段々、カードの滞納がひどくなっていったので、両親に頼るようになりました。でも、両親もなぜ私の夫が今働いていないのか、なぜおまえばかり苦労を背負う、と私を心配するようになりました。当たり前の親心ですが、私はその時、自分の結婚は間違ってなかった、彼を信じたい、彼とならやっていける、と思っていたので(結局これも周りの目とかプライドの生んだ感情なのですが)親の言葉は聞きたくありませんでした。

親にも頼れなくなった私は、とうとう消費者金融大手に手を出します。収入証明の提出がいらない会社で、10万円から始まり、それはちょっとずつ増えていきました。

気が付けばその返済も滞るので、2社目に手を出していました…

安易だったなと思います。

とうとう、その働いてる団体のお金にも少しずつ手を出すようになりました。

さすがにまずいので借りたらすぐに返すようにしていましたが。

そうなってくるともう自分がヤバいということも段々わかってきました。

 

お金のことから始まり、夫婦喧嘩ばっかりするようになった私たちは10か月程であっさり離婚してしまいました。

 

  • 気付けば借金だけが残り。

筆者は生活費でほぼ費やしてしまった借金200万増えた状態で、一人になりました。でも、もう無理しなくていいんだって思うと、ちょっと安堵。これからは一人分の生活費でいいんですからね。

それでも月々17万の収入ではきつく、もうこの時とっくに自転車操業に火がついちゃってる状態なので、給料はすぐにカードの返済と消費者金融の返済に消え、マイナスをまたカードや消費者金融からの借金で補う、という感じでした。

なかなかひどいものです。(笑)

でも、そんな中でも私はまだ、いつか収入は増えると信じていました。

この団体の給料も少しは上がるはずだし、団体職員をしながら、近いうちに大学講師や研究員として働ける、と思っていました。

現にちょこちょこそういった仕事も増えていって、手取りは月20万くらいになっていました。

まぁでもここまで読んでいただくとわかるでしょう。月20万になったところで…なんの解決にも、もはやならないことを…

でも、毎月毎月をやり過ごしながら、うまく延滞と催促電話を無視しながら切り抜けていました。

 

団体の仕事はとても有意義でやりがいのあるものでした。福祉的な支援を24時間体制で行う団体で、時間もプライベートもなく、働きました。その中で人付き合いもかなり多く、食事代でかなりお金は消えていったなとも思います。

段々学生インターンや後輩が出来て、私がおごったりすることもありました。接待のお金は普通の会社なら会社に請求できるのでしょうが、団体職員だとそうはいかず、仕事関係の出費も段々増えました。団体職員だからって貧しいとは思われたくなかったんですよね。ただの見栄ですね。

 

  • 仕事退職。腐る日々。

仕事に面白さを感じつつも、責任や職務が段々と私1人に負担がかかるようになり、だんだん心身共に疲弊しました。結婚失敗の時もそうですが、私はなんでも一人で抱えてしまうところがあり…仕事でも同じでした。職場のお局とも関係がこじれて、人間関係ストレスも加わり、とうとう退職することになりました。その団体には3年弱勤めました。28歳の頃です。

 

3か月、なーんにもせずに家に引きこもりました。

そして、微々たるお金は尽き、カードと借金の滞納電話と封書ばかりつもりつもることになりました。やばい‥‥と気付いた廃人3か月後のある日、生まれて初めて派遣の求人を探すことになります。時給1000円以上だったら、1か月働けば20万程度になる。団体のスタッフの頃より時間拘束は全くないから物を書いたりゆったり過ごせるかもしれない。朝も起きれるようになるかも。

とにかく一刻も早く仕事を見つけなければいけなかった私。

仕事は問わないので楽な事務を、と派遣の営業さんにお願いしました。

 

すぐに仕事は決まり、家から40分くらい電車で行く市街地のオフィスで働くことになりました。初めてのオフィス勤務なのでドキドキしましたが、これで私は「普通に」働けるんだって安堵しました。

これまで絶対ОLなんかしない、私は自分の道を究めるってこだわっていたけど、そんなこだわりのおかげで色んなことをこじらせてしまった私。まずは人並みに生きることを目標にしてみることにしました。

契約期間の3か月間、遅刻をしないこと。これが私の目標でした。

 

でも、ここでまた私の甘さを目の当たりにします。

一つは初めてのオフィス勤務ー年金税金保険料すべて引かれるということの実感がなかったこと、もう一つは交通費です。派遣は交通費が出ないものなのですね。ほんと、知りませんでした。

定期が月2万程だったので、色々差し引くと私の手取りは16万程度。

連休なんかがある月はもっと落ちて、ある月は13万程度になりました。

 

そして派遣労働を初めて半年、カードを2か月滞納、消費者金融1か月滞納、奨学金の返済は既に1年払っていませんでした。

 

ある日、どうも死にたくなりました。 

 

 

 

どうにか、このサイクルから抜け出さなければ。

 

そして、以下のような行動に出ることになります。

 

 

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